『アルケミスト』を読んだ
今まで、本屋さんで見かけて気になりつつも(翻訳ものは苦手だから…)と避けてきた。
昨日本屋さんで偶然立ち読みした本にタイトルが出てきて、そして隣の棚に並べられていたから、これは今買おう、と購入した。
いつもは中身をパラパラ見たり、あとがきや解説をノート読んだり、一行目(というか、たいていそのまま数ページ読んでしまう)を確認してから、購入するかどうかを決めるけれど、今回は一切中身を見なかった。
それでも、これは今買うべきタイミングなんだと思った。
買って良かった。
そして買うべきタイミングは間違いなく“今”だった。
もっと早くに読んでいればとよぎったけれど、もっと早くに読んでいてもピンとこなかっただろうな。
わたしは読み終えた本をわりとすぐに売ってしまう。
だけど『アルケミスト』は読むその時その時によって感じることや気づくところが変わりそうだから、ずっと本棚に並べておきたいと思った。
それに、今日読んで得た感動は今だけのものだから、きちんと感想を残したい。
まだ整理できていなくて書けないけれど。
近い内に必ず。
新しいことを始める勇気
チェロを習うことになった。
人の声に近い楽器なのだそうだ。
昔見た韓国ドラマで、登場人物がそう言っていたのが印象的で、数年前から興味があった。
音域が似ているとか、そういうことなのだと思うけど、人の声に近いのかあってなんだか素敵だなあと感じたのが記憶に残っている。
いや、正直言うと、そのことすら、長いこと忘れていた。
ホリエモンこと堀江貴文さんの本「多動力」を読んで、「24時間ワクワクしよう」という言葉にハッとしたのがきっかけで思い出した。
わたしはこれまでいろんなものにハマり、すぐに飽きてきたけれど、だいたい常に好きなことや好きなものがあったり、好きな人がいたりした。
今わたしに日々をときめかせるものが何かあるだろうか。
何も思い浮かばなかった。
無いなら作るしかない。
思いつくままに紙に書き出した。
どうせなら消費するばかりのものでなく、少しでも生産性のあるものがいい。
その中で、チェロに憧れたことを思い出したのだ。
ほどよい大きさ、魅力的な音色、ひとりでも演奏できて、チェロ同士で合奏もできること、なんかが、いいなあと思うところ。
楽器自体が高いとか、練習場所を探すのが大変とか、なんとか演奏できるようになるまで3年はかかるとか、やらない理由はいくらでも見つかる。
だけど、今の状況から何かを変えたかったわたしは、勢いに任せてみることにした。
まず、すぐに教室を探し始めた。
その日のうちには見つからなかったけれど、翌日には楽器を無料で借りられる良心的な価格設定の個人レッスンの教室を見つけた。
その日はもう夜遅かったので、さらに次の日に体験レッスン申し込みのメールをした。
希望日程のやりとりをしたら、その2日後には体験レッスンを受けられた。
思い立ってから5日で願いが叶ってしまった。
もう少し行動し始めるのが早ければ、さらに縮まっていただろう。
体験レッスンを受けられたら、あとは正式に習うか習わないかを決めるだけだ。
二回目の予約をし、はれてわたしはそのチェロ教室の生徒となった。
この先、まだ知らない世界が、まだ体験したことのない喜びが、あるのかと思うと楽しみでしかたがない。
新しいことを始めるのには勇気がいると思い込んでいたけれど、難しいことじゃなかったんだ、とわかった。
ひとつずつ順を追って行動すればいい。
難しいのはむしろ、最初のただ純粋に楽しめる時期が過ぎた頃の、気持ちのコントロールかもしれないな。
先生はいつもお茶菓子を用意してくれるそうなので、単純なわたしはお菓子目当てに、飽きずに通える気がしている。
他人の影響を受けやすいタイプ
わたしは今までいろんな人に流されてきました。
流行に乗るのは嫌だ、と思いつつ、仲のいい友達が勧めてきたものには乗っかって、まんまとハマったりしてきました。
それはそれで、わたしの人生の肥やしになっていると思います。感謝。
昨日今日ではあちゅうさんの『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』という本を読んでいたのですが、その中にあった「変わる覚悟」という言葉が印象的で、わたしには変わる覚悟あるかなぁ?と自分に問いかけてみたんです。
他人に流されやすいこと。
それは良くないことなんだと思い込んでいた。
なぜかというと、他人の意見に流されることは、自分の考えや意見がないから。
だけど、本当に曲げたくないことなら受け付けないはず。
そんな自分に気がついたら、他人に変えられてしまう程度のこと、それほど重要視していないことなんだなってことがわかりました。
逆に考えれば、流されやすいということは、変わるのを恐れていないってこと。
それって、実はすごいことなんじゃないのかな。
人は変わることを恐れる生き物。
そこに拘らないというのは、もはや才能なんじゃないかと。
どうしても譲れないところは守るけれど、大抵のことは重大じゃない。
守っても守らなくてもいいこと。
自分自身の思い込みとか、子供の頃の価値観に縛られているだけかもしれない。
思い込み、価値観を、改めて疑ってみることって、すごく大切なことかもしれない。
「常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである。」ってアインシュタインも言ってた。
偏見なら、捨ててもいいんじゃないの。
人間、よっぽどのことがなけりゃ死なないんだし。
まだ二親揃ってるし祖母も二人いる。
日本には生活保護もあるから、よっぽどのことにならない限りひとりくらい生きていける。
それならやりたいことやればいいなって思う。
なりたい自分になったらいいなって思う。
理想の自分を明確にして、少しずつ近づいていきたいな。
大きな傷、小さな傷
傷には大きさと深さがあります。
大きな傷、深い傷、これは誰が見ても大事
(おおごと)です。
小さい傷、浅い傷、かすり傷、こちらはたいしたことありません。か?
いいえ、わたしは、たいしたこと、あると思っています。
ほんの少しの間だけお付き合いした人とお別れすることになってからふた月ほど経ち、ようやくふだんの生活ではなんとも思わないところまで立ち直りました。
行きつけのお店で、たまたま居合わせた40代の女性と結婚や出産の話になり、この間お別れしたばかりだという話をしたら「大丈夫!傷は浅い!」と言われました。
励ましてくれたのだと思います。
その気持ちはとてもありがたいなぁと思いつつ、心の隅っこで「浅くても傷は傷やろ」と思っている自分がいました。
自分が感じたことなのにおかしいですが、なんだか、そうだよなぁ浅くても傷は傷だよなぁって妙に納得して、心に残っています。
小さい傷でも、例えば指先を紙で切ってしまったら、地味に痛い。
地味に痛い、というのは結構ダメージが大きいものです。
傷のことを忘れて生活しているのに、手を洗うと痛い、何かを触ったときに痛い、お風呂に入ったら痛い。
そうやって、ふとした瞬間に存在を思い出させてくる。
それが小さな傷、浅い傷。
大きな傷なら気をつけるけど、小さな傷にはあんまり注意しない。
だからいつまでもチクチクと痛い。
そういうことなのかなぁ。
本当に短い間で思い出なんてほとんど無いのに、その短い期間に見聞きした情報、単語のすべてがトリガーになってその人のことを思い出してしまう。
もうあんまり悲しくなることはないけれど、思い出すとちょっとさみしくなる。
小さい傷、浅い傷は、小さい浅いなりに、ちゃんと「傷」です。
傷はいつか治るけど、小さい傷ならゆっくり治してもいいかも。
何気ない日常生活で、たまに痛みを思い出して、また忘れて日常をおくる。
大きな傷は、なるべく避けたいかな。
読書=救い
本を読むことは、救いを求めることなのかもしれない。
「新しい知識を得る」
「新しい視点に気づかせてくれる」
「自分と似たような境遇から抜け出した小説の主人公」
「背中を押してくれた言葉」
「つまらない毎日にスリルや刺激を与えてくれるミステリー」
「日常を少し豊かにしてくれる提案」
「ささくれ立った心を落ち着かせてくれる美しい文章」
「何も考えたくないときに没頭できる漫画」
「周辺から自分を隔離するための手段」
読書はおもしろい。
これまでたくさん救われてきたんだなぁと改めて思う。
わけ隔てなくいろんな本を読みたいと思うけれど、実際のところ読む本はわりと偏っているような気がする。
たくさん読みたい。
でも、じっくり読みたい。
どちらも、というわけにはいかないので、ひとまず今年の目標を100冊読むことに設定しました。
去年は目標設定していなくて、なるべくたくさん読もう!って思い出したときだけ読む生活をしていたら、50冊だった。
今年はその倍です。
おもしろい本、あなたが好きな本、教えてください。
http://booklog.jp/users/udon925
読み終わった本だけ記録しています。
レビューも書いておけばよかったな。
大人向け:鳥は何故飛べるのか知っていますか?
今日通勤中にカラスを眺めていて「どういう仕組みで飛べているんだろう」と子どものような疑問が湧いた。
子どもの頃は不思議だったはずなのに「そういうもん」として結局知ろうともせずに大人になってしまった。
大人になった今だからこそ理解できるかもしれないと思って調べてみた。
・・・あかん。これじゃ全然解決してない。
軽けりゃいいってもんちゃうやろ。
わたしが知りたいのは、どういう風に羽を動かしていて、どういう理論で体を浮かせているのか、どのように高度を自在に操っているのか、ということだ。
これは少し近づいた気がする。
けど、もう一息、もっと詳しいことが知りたい。なんてったって、わたし、大人だから。
こ・れ・だ・!
こういうことです!知りたかったのは!
そうか、上昇しようとしているわけじゃなかったのか。
前進のみ。
後編を読めば、大型の鳥があまりはばたかずに滑空している理由もわかります。
鳥ってすごいなあ。(語彙力)
鳥とか花の名前をたくさん知っている大人になりたいなあと思っています。
図鑑とか欲しい。
でも虫は嫌い。
虫が載っていない図鑑でいいのがあったら教えてください。
愛想がいい=非効率的
性別が女性であることで得していることはたくさんあると思う。
20代の頃は特に。
レディースデーとか。レディースデーとか、レディースデーとか・・・。(他に思いつかなかった)
あ、あと何かミスをしたときに大目に見てもらえるとか。(これはかなり大きいメリット)
けど、それ以上に、損していることが多い気がする。
仕事では未だに「女だから商品のこと詳しくないだろう」という体で話を切り出されることが多いし、一歩間違えたらそれセクハラやぞって発言をされることも多い。
ほぼ毎日「今度いつご飯行く?」(一度も行ったことはありません)とか「顔見たいから商品引取に行くわ」とか「今度デートしてくれたら許すわ」とか、言われるし。
指名で取り次がれた電話に出たら「それ、聞くのんわたしじゃなくてもいいやんな?」っていう内容であることも多々。
それを事務所の営業さんとかに言ったら「シバタさんと喋りたいんですよ」で済まされる。
事実だとしても違ったとしても、お互いに効率悪すぎるやろ。
愛想はいいほうがいいと思ってお客さんの雑談にも対応してきたけど、こちらのノリがいいからといって仲良くなれたと勘違いするオッサンのなんと多いことか。
いちいちそんなオッサンの相手してたら仕事が全然進まなくて、結果的にまわりまわってオッサン自身に影響が及ぶということにもオッサンは気がついていない。
世の中の男性にわかっておいてほしい。
女性の愛想はサービスです。
数に限りがあり、なくなり次第終了です。
紳士的に、要件を簡潔に伝えられ、女性の手を煩わせることがなければ、細く長く愛想よく接してもらえます。
反対に、説明が長いとか、何が言いたいのかわからないとか、先述のようなしょーもない雑談をすると、わりと早い段階で使い切ってしまいます。
だから「愛想が尽きる」と言うのか!と思い至った昨日。
自分が愛想よく接してもらうほうが嬉しいから、自分も愛想よくしている方がいいってずっと思ってやってきたけれど、無駄に時間は取られるしそのわりにメリット無いし、非効率的すぎることに気がついた。
だから最近必要以上に愛想よくしないことにしている。
嫌われるほどやるのはやりすぎやと思うけど、ほどほどに。
そしたら「シバタさん最近元気ないですね?」って言われた。
元気がないんじゃなくて、これが通常運転なんです。
今まで頑張って愛想よくしてたんです。
で、その元気ないとおっしゃる状態を通常にもっていこうとしているんです。
愛想悪いのはよくないけど、特に愛想振り撒かないほうがいい。
自分もしんどいし。
「愛想よくしなきゃいけない」と思い込んでいた自分ルールを捨てました。
またひとつ楽になったー!と小躍りする金曜日の夜。
ビールを2本開けました。