『アルケミスト』感想編
『アルケミスト』という本からは、たくさんのエネルギーをもらった。
最初の方は読みにくかったし、心に刺さったのは後の方ばかり。
もう一度読んだら、次はまた別のことを思うんだろうな。
と思うので、読み返す前に今の時点での感想を残しておきたい。
「マクトゥーブ」
アラブ人の商人が言った「マクトゥーブ」という言葉が、わたしは気に入った。
「おまえの国の言葉でいえば『それは書かれている』というような意味さ」だそうで。
「なるようになるさ」ほどお気楽でなく、「運命は決まっている」ほどガッチリと固められていない遊びの部分がある印象。
一番最初に「アカシック・レコード」のことが思い浮かんだ。
それから、伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」に出てくる「優午」という喋るカカシのことも思い出した。
アカシック・レコードは「宇宙のデータバンク」とも呼ばれるもので、そこには人類の誕生から今までのすべてが記されている。
シンクロニシティとか虫の知らせなんかは、このアカシック・レコードから情報を受け取っているから起こる事象。
一方、「優午」というカカシは未来に何が起こるかを知っている。
知っているというよりも、たくさんの起こり得る膨大な事象の中から、条件に当てはまるものを選び取っていくという感じ。
たとえばyes/noで矢印を辿っていくチャートのような。
砂漠の女ファティマ
それから、砂漠のオアシスに住むファティマという女性がすごく素敵。
オアシスを離れて旅立とうとする主人公にファティマはこう話す。
「砂漠は私たちの男を連れてゆきます。そして彼らはいつも、戻ってくるとは限りません」と彼女は言った。「私たちはそれを知っていて、それに慣れています。帰らない人は雲の一部になり、谷間にかくれて住む動物の一部になり、地面から湧き出る水の一部になります・・・彼らは大いなる魂になるのです。
帰ってくる人たちもいます。すると他の女たちは、いつか自分の夫も、戻ってくるかもしれないと思って、幸せになります。私はそうした女たちを見て、彼女らの幸せをうらやましく思ったものでした。今、私もそうした待つ女の一人になります。私は砂漠の女です。そして私はそれを誇りに感じます。私は自分の夫には、砂丘を作る風のように、自由に歩きまわってほしいのです。そしてもし必要であれば、彼が雲や動物や砂漠の水の一部となることも、私は受け入れるでしょう」
ファティマのように、自分の生き方に誇りを持ち、愛する人を信じて待ち続けられる大きな心を持った女性でありたい。
まだまだ修行が足りません。
心に耳を傾ける
主人公は錬金術師から心の声をよく聞くように言われます。
「おまえの心に耳を傾けるのだ。心はすべてを知っている。それは大いなる魂から来て、いつか、そこへ戻ってゆくものだからだ」
わたしはあらゆることを知りたくて、たくさんの知識を得ようと本を読むのかもしれない。
自分自身を知るために。
前の記事で「救い」と書いたけれど、新しい知識や視点を得ることで自分自身が少し理解できて、理解することによってわたしの一部が救われる。
遠回りしていたのかもしれない。
新しい知識や視点はときには必要だけれど、それを得ることに必死で、わたしの「心に耳を傾け」ていなければ意味がない。
ヒントは見つかったとしても、そこに答えはない。
学びは行動によってのみもたらされる。
行動し、自らの体験によって学ぶこと。
ものすごく行動力のある知り合いは、本を全然読まないと言っていた。
そういうことなのだな、と納得した。
受け取ることを恐れない。拒否しない。
また引用するけれど、錬金術師が鉛から金を作り出して3人で分けるところ。
そこで錬金術師は円型の金を4つにわけた。
「これはあなたにあげよう」と彼は言って修道士にその一つを差し出した。「あなたの巡礼者に対する親切へのお礼です」
「しかし、これは私のした親切をはるかに越えていますよ」と修道士は言った。
「二度とそんなことを言ってはいけない。命が聞いているかもしれないからね。そして次には、あなたに少ししかくれないかもしれませんよ」
私は今年に入ってからいろいろ本を読んだけれど、お金や幸せについての本には必ず似たような心構えが書かれてある。
受け取ることを恐れないこと。
多すぎる、と拒否しないこと。
なにか代償が必要なのではないかと考える必要もない。
今、そのままの自分がここに存在していることに対しての報酬。
存在しているだけでよいということ。
それを自分自身がそのまますべてを受け入れること。
「前兆」に気づく
この物語は、主人公が見た「夢」から始まる。
そして「前兆」を見て進み、実現させていく。
あらゆることが「前兆」を知らせているのに、わたしたちはきっとそれに気づいていない。
わたしはスピリチュアルな話は好きな方だけれど、苦手な人もたくさんいるだろうと思う。
かくいうわたしもすべてをそのまま信じているというわけでない。
この「前兆」あるいは「気づき」や「メッセージ」と言われるようなものについては、わたしなりの考えがあるので、これはまた別の記事として書くことにしよう。
『アルケミスト』を読んだ
今まで、本屋さんで見かけて気になりつつも(翻訳ものは苦手だから…)と避けてきた。
昨日本屋さんで偶然立ち読みした本にタイトルが出てきて、そして隣の棚に並べられていたから、これは今買おう、と購入した。
いつもは中身をパラパラ見たり、あとがきや解説をノート読んだり、一行目(というか、たいていそのまま数ページ読んでしまう)を確認してから、購入するかどうかを決めるけれど、今回は一切中身を見なかった。
それでも、これは今買うべきタイミングなんだと思った。
買って良かった。
そして買うべきタイミングは間違いなく“今”だった。
もっと早くに読んでいればとよぎったけれど、もっと早くに読んでいてもピンとこなかっただろうな。
わたしは読み終えた本をわりとすぐに売ってしまう。
だけど『アルケミスト』は読むその時その時によって感じることや気づくところが変わりそうだから、ずっと本棚に並べておきたいと思った。
それに、今日読んで得た感動は今だけのものだから、きちんと感想を残したい。
まだ整理できていなくて書けないけれど。
近い内に必ず。
新しいことを始める勇気
チェロを習うことになった。
人の声に近い楽器なのだそうだ。
昔見た韓国ドラマで、登場人物がそう言っていたのが印象的で、数年前から興味があった。
音域が似ているとか、そういうことなのだと思うけど、人の声に近いのかあってなんだか素敵だなあと感じたのが記憶に残っている。
いや、正直言うと、そのことすら、長いこと忘れていた。
ホリエモンこと堀江貴文さんの本「多動力」を読んで、「24時間ワクワクしよう」という言葉にハッとしたのがきっかけで思い出した。
わたしはこれまでいろんなものにハマり、すぐに飽きてきたけれど、だいたい常に好きなことや好きなものがあったり、好きな人がいたりした。
今わたしに日々をときめかせるものが何かあるだろうか。
何も思い浮かばなかった。
無いなら作るしかない。
思いつくままに紙に書き出した。
どうせなら消費するばかりのものでなく、少しでも生産性のあるものがいい。
その中で、チェロに憧れたことを思い出したのだ。
ほどよい大きさ、魅力的な音色、ひとりでも演奏できて、チェロ同士で合奏もできること、なんかが、いいなあと思うところ。
楽器自体が高いとか、練習場所を探すのが大変とか、なんとか演奏できるようになるまで3年はかかるとか、やらない理由はいくらでも見つかる。
だけど、今の状況から何かを変えたかったわたしは、勢いに任せてみることにした。
まず、すぐに教室を探し始めた。
その日のうちには見つからなかったけれど、翌日には楽器を無料で借りられる良心的な価格設定の個人レッスンの教室を見つけた。
その日はもう夜遅かったので、さらに次の日に体験レッスン申し込みのメールをした。
希望日程のやりとりをしたら、その2日後には体験レッスンを受けられた。
思い立ってから5日で願いが叶ってしまった。
もう少し行動し始めるのが早ければ、さらに縮まっていただろう。
体験レッスンを受けられたら、あとは正式に習うか習わないかを決めるだけだ。
二回目の予約をし、はれてわたしはそのチェロ教室の生徒となった。
この先、まだ知らない世界が、まだ体験したことのない喜びが、あるのかと思うと楽しみでしかたがない。
新しいことを始めるのには勇気がいると思い込んでいたけれど、難しいことじゃなかったんだ、とわかった。
ひとつずつ順を追って行動すればいい。
難しいのはむしろ、最初のただ純粋に楽しめる時期が過ぎた頃の、気持ちのコントロールかもしれないな。
先生はいつもお茶菓子を用意してくれるそうなので、単純なわたしはお菓子目当てに、飽きずに通える気がしている。
他人の影響を受けやすいタイプ
わたしは今までいろんな人に流されてきました。
流行に乗るのは嫌だ、と思いつつ、仲のいい友達が勧めてきたものには乗っかって、まんまとハマったりしてきました。
それはそれで、わたしの人生の肥やしになっていると思います。感謝。
昨日今日ではあちゅうさんの『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』という本を読んでいたのですが、その中にあった「変わる覚悟」という言葉が印象的で、わたしには変わる覚悟あるかなぁ?と自分に問いかけてみたんです。
他人に流されやすいこと。
それは良くないことなんだと思い込んでいた。
なぜかというと、他人の意見に流されることは、自分の考えや意見がないから。
だけど、本当に曲げたくないことなら受け付けないはず。
そんな自分に気がついたら、他人に変えられてしまう程度のこと、それほど重要視していないことなんだなってことがわかりました。
逆に考えれば、流されやすいということは、変わるのを恐れていないってこと。
それって、実はすごいことなんじゃないのかな。
人は変わることを恐れる生き物。
そこに拘らないというのは、もはや才能なんじゃないかと。
どうしても譲れないところは守るけれど、大抵のことは重大じゃない。
守っても守らなくてもいいこと。
自分自身の思い込みとか、子供の頃の価値観に縛られているだけかもしれない。
思い込み、価値観を、改めて疑ってみることって、すごく大切なことかもしれない。
「常識とは、18才までに得た偏見のコレクションである。」ってアインシュタインも言ってた。
偏見なら、捨ててもいいんじゃないの。
人間、よっぽどのことがなけりゃ死なないんだし。
まだ二親揃ってるし祖母も二人いる。
日本には生活保護もあるから、よっぽどのことにならない限りひとりくらい生きていける。
それならやりたいことやればいいなって思う。
なりたい自分になったらいいなって思う。
理想の自分を明確にして、少しずつ近づいていきたいな。
大きな傷、小さな傷
傷には大きさと深さがあります。
大きな傷、深い傷、これは誰が見ても大事
(おおごと)です。
小さい傷、浅い傷、かすり傷、こちらはたいしたことありません。か?
いいえ、わたしは、たいしたこと、あると思っています。
ほんの少しの間だけお付き合いした人とお別れすることになってからふた月ほど経ち、ようやくふだんの生活ではなんとも思わないところまで立ち直りました。
行きつけのお店で、たまたま居合わせた40代の女性と結婚や出産の話になり、この間お別れしたばかりだという話をしたら「大丈夫!傷は浅い!」と言われました。
励ましてくれたのだと思います。
その気持ちはとてもありがたいなぁと思いつつ、心の隅っこで「浅くても傷は傷やろ」と思っている自分がいました。
自分が感じたことなのにおかしいですが、なんだか、そうだよなぁ浅くても傷は傷だよなぁって妙に納得して、心に残っています。
小さい傷でも、例えば指先を紙で切ってしまったら、地味に痛い。
地味に痛い、というのは結構ダメージが大きいものです。
傷のことを忘れて生活しているのに、手を洗うと痛い、何かを触ったときに痛い、お風呂に入ったら痛い。
そうやって、ふとした瞬間に存在を思い出させてくる。
それが小さな傷、浅い傷。
大きな傷なら気をつけるけど、小さな傷にはあんまり注意しない。
だからいつまでもチクチクと痛い。
そういうことなのかなぁ。
本当に短い間で思い出なんてほとんど無いのに、その短い期間に見聞きした情報、単語のすべてがトリガーになってその人のことを思い出してしまう。
もうあんまり悲しくなることはないけれど、思い出すとちょっとさみしくなる。
小さい傷、浅い傷は、小さい浅いなりに、ちゃんと「傷」です。
傷はいつか治るけど、小さい傷ならゆっくり治してもいいかも。
何気ない日常生活で、たまに痛みを思い出して、また忘れて日常をおくる。
大きな傷は、なるべく避けたいかな。
読書=救い
本を読むことは、救いを求めることなのかもしれない。
「新しい知識を得る」
「新しい視点に気づかせてくれる」
「自分と似たような境遇から抜け出した小説の主人公」
「背中を押してくれた言葉」
「つまらない毎日にスリルや刺激を与えてくれるミステリー」
「日常を少し豊かにしてくれる提案」
「ささくれ立った心を落ち着かせてくれる美しい文章」
「何も考えたくないときに没頭できる漫画」
「周辺から自分を隔離するための手段」
読書はおもしろい。
これまでたくさん救われてきたんだなぁと改めて思う。
わけ隔てなくいろんな本を読みたいと思うけれど、実際のところ読む本はわりと偏っているような気がする。
たくさん読みたい。
でも、じっくり読みたい。
どちらも、というわけにはいかないので、ひとまず今年の目標を100冊読むことに設定しました。
去年は目標設定していなくて、なるべくたくさん読もう!って思い出したときだけ読む生活をしていたら、50冊だった。
今年はその倍です。
おもしろい本、あなたが好きな本、教えてください。
http://booklog.jp/users/udon925
読み終わった本だけ記録しています。
レビューも書いておけばよかったな。
大人向け:鳥は何故飛べるのか知っていますか?
今日通勤中にカラスを眺めていて「どういう仕組みで飛べているんだろう」と子どものような疑問が湧いた。
子どもの頃は不思議だったはずなのに「そういうもん」として結局知ろうともせずに大人になってしまった。
大人になった今だからこそ理解できるかもしれないと思って調べてみた。
・・・あかん。これじゃ全然解決してない。
軽けりゃいいってもんちゃうやろ。
わたしが知りたいのは、どういう風に羽を動かしていて、どういう理論で体を浮かせているのか、どのように高度を自在に操っているのか、ということだ。
これは少し近づいた気がする。
けど、もう一息、もっと詳しいことが知りたい。なんてったって、わたし、大人だから。
こ・れ・だ・!
こういうことです!知りたかったのは!
そうか、上昇しようとしているわけじゃなかったのか。
前進のみ。
後編を読めば、大型の鳥があまりはばたかずに滑空している理由もわかります。
鳥ってすごいなあ。(語彙力)
鳥とか花の名前をたくさん知っている大人になりたいなあと思っています。
図鑑とか欲しい。
でも虫は嫌い。
虫が載っていない図鑑でいいのがあったら教えてください。