生産性のある趣味をつくりたい!
好きなことして生きていく!
そういう生き方に憧れる。憧れているうちはだめなんだろうな。
絶対にそうする!って強く信じていないと。
だけど、わたしの好きなことってなんだろう。
本を読むとか、観劇とか、消費することばっかりだ。
そう思ったら、嫌なことしたくなくて、逃げてるだけなのかなぁって、悲しくなってきてしまった。
わたしの好きなこと
・本をよむ
・観劇
・カラオケでうたう
・友達と笑う
・植物や動物の観察
・写真を撮ること
パッと思いつくのはこんなことかな。
音楽はいつもそばにあった
3歳から15歳までクラシックピアノを習っていたし、中学の部活は吹奏楽部。
高校生の頃はk-popにハマって、大学生のときはk-popからV系に移行した。
学生時代はカラオケにもよく行った。
今思うと、どうしてそんなにうたいたい歌が尽きないのか不思議だけど、ジャンカラのフリータイム(10時から18時まで)を利用して、せっかく外が明るい8時間を室内で過ごした。
k-pop好きの頃に初めて遠征をした。1回経験するとハードルはかなり下がる。
わたしが好きだったバンドはライブが多かったから、大学時代は何回夜行バスに乗っただろう。
あの頃のパワフルさと回復力があったからできたことだな、と今になって思う。
もう、夜行バスで朝帰ってきてそのまま授業(か、バイト)行く、なんてできないよ、絶対。
物心ついたときには、本を読む子どもだった
小さい頃から絵本が好きだった。母がうまく誘導してくれたなとおもう。
そのまま文字の多い絵本や児童文学に移行していく。
小学生のころ、母に推理小説というものの存在を教わって、図書館で借りた本にハマったことは今でも覚えている。
初めて読んだ推理ものは「名たんていカメラちゃん」シリーズ。
「カシャ」と言って10秒数えたら、その景色をカメラで撮ったみたいに記憶できる女の子が主人公。
10秒数えるときに「1ミシシッピー、2ミシシッピー・・・」と数えるとちょうど計れるとカメラちゃんが言っていて、わたしは実生活で秒数を数える必要があるとき参考にしていた。
中学になると、本の趣味が合う友達ができて、その子が読んで面白かったよって教えてくれたものを読むスタイルにした。
だから、自分でなんとなく選ぶとたいてい失敗していた。
大学時代は比較的本から離れていたけど、それでも大学の図書館にはわりと出入りしていたかな。
社会人になったとき、家と会社との往復が嫌になって、間にあった図書館で自分のために時間を使ってから家に帰るということをしていた。
その時間があったから、自分なりの本の選び方を会得できたのかもしれない。
生産性がない
植物や動物の観察だって、ただ見ているだけである。
わぁ、きれーい!とか、わぁ、かわいい!とか思って見ているだけ。
そして、その部分を切り取ろうと、唯一生産性のかけらを感じさせる「写真を撮る」という行為を行う。
そして、カメラを向けるのだけれど、撮影した写真を見て、なんかちがう・・・とがっかりするところまでがセットなんだよね。
なんとかこちらの気持ちが動いたその瞬間を、見たままに残したいと思うのだけれど、そう試行錯誤するのだけれど、なかなか思うようにいかない。
ま、その試行錯誤も含めて好きなんですけどね。
消費したことは生産する力にできる
ここまで書いてきて、わたしには圧倒的にアウトプットが足りないのだと気づいた。
好きなことが消費することばっかりでも、そこから何か得るものはあるはずだし、それに気づいて誰かに伝えるとすると、「伝えたいこと」を生産したことになるのではないか。
得たものや気づきじゃなくても、わたしはこれが好きなんです!と発信し続けることは、それ自体が生産性のあることなのではないか。
同じ体験をしても、発信、つまり自分の外に向けて文字なり声なりで発しない限り、人に伝わることはなく、ただの消費になってしまい、大なり小なり自分の外へ伝えると生産になるということか。
せっかくブログを始めたことだし、ここで思いっきりアウトプットしていこう。
あぁ、よかった。
自分はやりたくないことから逃げたいだけじゃないか、なんて思わなくてよくなりそうだ。