塩バター通信

シバタさんの頭の中。本のレビューを増やしたい。

愛想がいい=非効率的

性別が女性であることで得していることはたくさんあると思う。

20代の頃は特に。

レディースデーとか。レディースデーとか、レディースデーとか・・・。(他に思いつかなかった)

あ、あと何かミスをしたときに大目に見てもらえるとか。(これはかなり大きいメリット)

けど、それ以上に、損していることが多い気がする。

仕事では未だに「女だから商品のこと詳しくないだろう」という体で話を切り出されることが多いし、一歩間違えたらそれセクハラやぞって発言をされることも多い。

ほぼ毎日「今度いつご飯行く?」(一度も行ったことはありません)とか「顔見たいから商品引取に行くわ」とか「今度デートしてくれたら許すわ」とか、言われるし。

指名で取り次がれた電話に出たら「それ、聞くのんわたしじゃなくてもいいやんな?」っていう内容であることも多々。

それを事務所の営業さんとかに言ったら「シバタさんと喋りたいんですよ」で済まされる。

事実だとしても違ったとしても、お互いに効率悪すぎるやろ。

愛想はいいほうがいいと思ってお客さんの雑談にも対応してきたけど、こちらのノリがいいからといって仲良くなれたと勘違いするオッサンのなんと多いことか。

いちいちそんなオッサンの相手してたら仕事が全然進まなくて、結果的にまわりまわってオッサン自身に影響が及ぶということにもオッサンは気がついていない。

世の中の男性にわかっておいてほしい。

女性の愛想はサービスです。

数に限りがあり、なくなり次第終了です。

紳士的に、要件を簡潔に伝えられ、女性の手を煩わせることがなければ、細く長く愛想よく接してもらえます。

反対に、説明が長いとか、何が言いたいのかわからないとか、先述のようなしょーもない雑談をすると、わりと早い段階で使い切ってしまいます。

だから「愛想が尽きる」と言うのか!と思い至った昨日。

自分が愛想よく接してもらうほうが嬉しいから、自分も愛想よくしている方がいいってずっと思ってやってきたけれど、無駄に時間は取られるしそのわりにメリット無いし、非効率的すぎることに気がついた。

だから最近必要以上に愛想よくしないことにしている。

嫌われるほどやるのはやりすぎやと思うけど、ほどほどに。

そしたら「シバタさん最近元気ないですね?」って言われた。

元気がないんじゃなくて、これが通常運転なんです。

今まで頑張って愛想よくしてたんです。

で、その元気ないとおっしゃる状態を通常にもっていこうとしているんです。

愛想悪いのはよくないけど、特に愛想振り撒かないほうがいい。

自分もしんどいし。

「愛想よくしなきゃいけない」と思い込んでいた自分ルールを捨てました。

またひとつ楽になったー!と小躍りする金曜日の夜。

ビールを2本開けました。

自分の嫌いなところを減らしたら幸せになれる

昔から長所より短所を挙げる方が簡単でした。

「わたしには短所しかない」

そう思っていました。

短所は言い方を変えると長所になるって言いますよね。

そう言われても、どう長所として言い換えればいいのか全く思いつきませんでした。

今はようやく、いくつか出てくるようになりました。

  • 好奇心旺盛
  • 自分の感情が動いたものに対してはフットワークが軽い
  • 読書の習慣がある

とか。

あ、3つしか出てこなかった。

長所は自分でひとつでも思い浮かんだら、周りの人たちは10個ぐらい見つけてくれてるんじゃないのって思ってます。

大きく変わったのは短所のほう。

今までたくさん、いくら挙げてもキリがないくらい思いついていたのに、全然出てこなくなりました。

まぁ、物忘れが激しいとか、ありますけど、周りがそれに合わせて助けてくれて(笑)なんとかなっているから、挙げるほどの短所ではないと思っています。

短所ではなくて、そういう性質。

長所ではなくて、そういう性質。

面接とかでも、あなたはどういう人ですかって聞いてくれたほうが答えやすいですよね。

長所と短所しか聞かれたことない。

そもそもちゃんと就活してないので、きちんとした面接だとそういう風に聞かれたりするのかな?

知らんけど。

自分の嫌いなところ、なくなりました。

「自分嫌いは自分好き」と気づいてから、嫌いなところなくなるまでに10年くらいかかったけど、なくなりました。

どんな自分でもこのままでいいんやって思えるようになりました。

それは、周りにいるわがままな人とか自分の都合しか考えてない人とかすぐ怒鳴る人とか、そういう人を見て「あんなんでも周りに人がおって相手してくれるんやから、わたしの欠点なんかかわいいもんや。大丈夫や。」って思えたから。

仕事はこんな人相手ばっかりでほんまに嫌やけど、そういう気づきがあったという意味では、この仕事ができてよかったのかな。

自分の嫌いなところがたくさんある人は、他の誰に欠点と言われようとも、自分だけはそれを許してあげてください。

自分が嫌いなのは、理想の自分と現実の自分に大きな差異があるから。

理想を低くすると楽になれます。

上を見て愕然とするんじゃなくて、下を見て底上げしていく感じ。

ほんとはあんまりよくないことかもしれないけど、嫌いな人を思い浮かべて「あの人よりはこの点において勝ってる」とかから始めたらいいです。

「あの人でもやっていけてる。わたしはあの人よりは多少好かれてるはず。」とかでもいい。

思ってるだけやったら誰にもバレないから大丈夫です。

自分のこと好きになれなくてもいい。

嫌いなところを減らしていけたら、人生少しずつ楽しくなります。

私が証明です!(某美容系CM風)(このセリフ、クレーム殺到したらしく言わなくなったけど)

スマートなフォン

先々月くらいに、スマホをトイレに落とした。

水没したとき最もやってはいけない行動をしたので、完全にアウト。

だけどスマホのない生活には耐えられず、すぐにAmazon当日お急ぎ便で端末を購入した。

もちろん、中のデータはもう二度と見られない。

クラウドにバックアップとかもしていなかったので、文字通り、もう二度と…

だけど、何が入っていたのか、メイン画面に並べていたはずのアプリさえ、思い出せなかった。

なにをあんなに並べていたんだろう…

きっと未だに思い出していないものもあるはず。

画像フォルダにだって、たくさん撮った写真があったはずなのに。

でも、わたしは元々記憶力がちょっと難ありなので、なにかを思い出して「あの写真はどこかな?」と探したことが、ほぼない。

思い出さないから見たくもならない。

そういうことに気づかされた。

楽しい思い出はたいていInstagramに残っているし、友達と過ごしたのなら友達がデータを持っている。

わたしのスマホに保存されているのは、多用するスクショのデータがほとんど。

誰かが紹介していて読みたいなって思った本の情報とか、おいしそうなレストランとか、そういうデータ。

これだって、もし消えてしまっても次から次に情報は押し寄せてくるし、それはそれでいいかと思っている。

わたしのスマホは、記憶容量は少ないけどバッテリー容量は多く、保存データの容量は少なめな、スマートなフォンです。

 

わたしが飽きたもの=話題にできるもの

「飽きっぽいのが長所」と書いたので、今までハマって飽きたものを羅列してみる。

なるべく固有名詞を書かないようにしたので、細かく分けるともっとある。

そして、もう忘れてしまっているものもたくさんあると思う。

第2次、3次、4次(マイ)ブームがきたものもある。

飽きっぽいけど、いろんなものの楽しみ方を知っているのは強い。

わたしに足りないのは、それを誰かに伝えるという力。

 

言葉=思考

ここのところ、以前に気持ちを切り替えたはずのことがよく思い出されて、心が悲しい気持ちに支配されていました。

どうしてかなあと思っていたけれど、ふと、心の叫びが聞こえてきて…

いろいろ考えて話し合った結果「いいよ」と言ったけど、わたし、本当は「嫌だ!」と言いたかったんだ。

それに気づいた途端に涙が止まらなくなりました。

たとえ言ったところで結果が変わらなくても、嫌だと思ったのならきちんと言うべきでした。

わたしは思うことがあっても言語化するのに時間がかかるのでなかなか人と話し合うということができません。

だから、わたしの発言を辛抱強く待ってくれる人とじゃないと、深い話ができません。

先日、市川海老蔵さんがNHKあさイチという番組に出演されていたとき、こうおっしゃっていました。

「考えたことは言葉にできる。思ったことはなかなか言葉にできない。」

わたしには自分の気持ちを考えるということか足りなかったのかもしれない。

ブログでアウトプットするようになって、少しずつ変化していくかな?とも思ったりしています。

 

なにもの

何者かになりたかったわたし

何者にもなれていないわたし

それでもいいのだとわかっているつもりだけど

周りの人たちがなにかを得ているように見えて

わたしにはやっぱりなにもないように思えて

どうすればこの焦る気持ちを抑えられる?

どうすればこの虚しさを慰められる?

人と話していてもなんだかうまく会話ができなくて

悲しい記憶が蘇って泣きそうになったり

気持ちが不安定な夜は早く寝てしまおうとするけれど

そういうときに限ってなかなか寝つけないなんてよくある話で

会いたいけど会えない人の顔が思い浮かんだりして

会いたいけど会えない犬の匂いを思い出したりして

わたしはただ会いたいなあと思いながら眠りにつきます

みんな夢に出てきてくれないかな

そしてひとりずつ抱きしめさせて

飽きっぽいのは長所でもある!

わたしはとても飽きっぽい。

典型的な三日坊主

誰かが三日坊主でもまた思い出したときに再開すればいいというようなことを書いていて、気が楽になったことがある。

思えば、手帳に書いている日記も思い出したときにしか書かないし、寒くなってくると編み物をしたくなる(くせに、完成する前に飽きてしまう)し、連続していなくてもいいのかもしれない。

 

飽きっぽい人はたいてい、熱しやすいタイプなのではないだろうか。

最初の熱量が大きすぎて、好奇心という燃料が燃え尽きるのも早い。

早い段階で、いろいろ知識を吸収して、ある程度吸収したところで満足して飽きてしまう。

そしてまた別のなにかに熱中する。

また飽きる。

そうして初級編の知識ばかり増えていく。

だけどそれは、人との共通点をどんどん増やしていることに等しい。

知り合った人と、会話できる材料がたくさんあるということ。

注意するのは、知らないことはきちんと知らないと伝えるということだ。

知ったかぶりをしても相手にはすぐバレる。

一度はやろうと思ったことがあるものなのだから、全く興味がないわけではないし、正直にこれだけしか知識がないということを相手に告げ、知らないことを教わればいい。

 

飽きっぽいことはよくないと思っていたけれど、案外、話題の幅が広いと喜ばれることが多い。

飽きっぽいことは、わたしの長所だ。